最後に子どもと一緒に遊園地に行きたい

  • URLをコピーしました!

こんにちは
プライベートナーシングコハルのブログをご覧いただきありがとうございます。
今日は、私が保険外看護事業を開業したきっかけについてお話しさせていただきます。
すこし長くなりますが、嘘偽りなく書いておりますので、ご興味のある方はお付き合いいただけますと嬉しいです♪

目次

まさかの「おたんこナース」誕生

※画像お借りしました

自分で言うのも何ですが・・・
看護学校を優秀な成績で卒業した私は、大学病院に就職しました。

順風満帆な社会人生活が待っているかと思えば、
誰が予想できたでしょうか・・・

それはそれは、自分自身でもびっくりするほど、「おたんこナース!!」
いわゆる「できないナース」だったのです。

人の顔色ばかりみる性格が災いし、目の前の患者さんの対応には上の空
先輩や上司にばかり気に入られることばかりに注力し、毎日のようにミスをやらかす
そんな看護師でした。

どれほどの方にご迷惑をかけたか、どれだけの方がフォローしてくれたか
どれだけの方から学ばせていただいたか


許されるなら時間を戻してやり直したい
そんな気持ちで当時のことを振り返ります。




数年がたち、業務に慣れてくると、「おたんこナース」が持ち前の共感力を発揮し
「熱い(あつくるしい)ナース」に変貌をとげました。

※看護師ならあるあるなのですが、2・3年目で、鼻の高くなる時期がくるのです。

「患者さんに痛い思いをさせてはいけない」
「患者さんに苦しい思いをさせてはいけない」
「患者さんを危険な目にあわせてはいけない」

そんな思いで、
自分の足に駆血帯を巻き、注射や点滴の練習をしたり
休みの日はセミナー三昧
参考書もたくさん読み漁り

知識と技術をつけた(と思っている)「暑苦しい看護師」は後輩や先輩、医師にまで喧嘩をふっかけるくらい
「患者さんのために!!」と書いた大きな旗🚩を掲げていました。


当時のことを思えば、顔から火が出そうですが
患者さんへの愛は本当でした。

鼻が高い時期を経て
同僚や医師への物言いは柔らかくなりましたが、
まだまだ勘違いをしてた時期が10年ほど続きました。

「おせっかいナース」誕生!!

患者さんへの思いが強い「熱いナース」
やがて、患者さんやご家族の要望を全て叶えてさしあげたいと思う「おせっかいナース」となり、
同僚から疎ましがられる存在となりました。

それはそうです。

人手が足りないのに、患者さんの足浴をしだす。
他の患者さんで手一杯なのに、夜中でも患者さんの話しを聞き1時間も帰ってこない。

夜勤で一緒になりたくない看護師No1だったと思います。

そして、私がやってしまうことで、「あの人はやってくれたのに」という偽の信頼関係を生み
余計に現場が困るという事態になりました。

「患者さんにとって必要なことなのに、誰もわかってくれない。」
と悶々とする日々…

そんなとき、上司のすすめもあり、
もっと知識をつけて資格をとればみんなわかってくれるかも!
という大きな勘違いし
、緩和ケア認定看護師の道にすすみました。

思えば、上司はそんな視野の狭すぎる私を見透かして認定看護師の道をすすめてくれたのかもしれません。
当時の上司には感謝しきれません。

「おせっかいナース」緩和ケア認定看護師へ

緩和ケア認定看護師の教育課程機関は7か月ほど
その間、仕事から離れて、緩和ケア分野に関する机上の授業や実習や訓練を徹底的に受けました。

そこで学んだのが、全てうぬぼれだったということ。

実習や訓練では
自分自身の心の底までをえぐり取るように振り返り
一度エゴが丸出しになります。

そんな自分が恥ずかしくて恥ずかしくて
何をやってきたんだろうと
自分を責めました




自分の力で何とかしたいなんて、
おこがましいにもほどがある。


看護は、黒子になって後ろから支えるもの
その方の力を引き出すお手伝いをするもの
それ以上でもそれ以下でもない。

そのことに気付けて、私の看護に対する姿勢は180度変わりました。

認定看護師になり現場に復帰すると

さあ!本来の看護をするぞ!
意気込んだのもつかの間…

組織人たるもの
身を粉にして貢献せねばならない。

という文化が色濃くあり、全体を見通す力に乏しかった私は戸惑いました。

そして、自分の気持ちに蓋をすることで対処していたのです。
気持ちに蓋をすることを続けていると
人間は慣れてきます。

すると自分の本当の気持ちがわからなくなってきます。


そんなとき
30代のがん患者さんとの出逢いがありました。
シングルマザーで幼い子を抱えながら治療をする彼女とは
長い付き合いでした。

ついに最期のときになったとき
病棟に駆けつけると
私、子どもと最後に遊園地に行きたい。行けるかな?」と話されました。

そのとき私は、
行けるよ!行こうね!」と答えてあげられなかったのです。
かわりに
「行けたらいいね・・・」
手を握りながら答えた私をみる
彼女のさみしそうな笑顔が忘れられません

自分が許せなかった。
私が連れて行ってあげればよかった。

そのとき
気持ちに蓋をしていたことに気付いたのです。




たくさんの最期のときの希望を聴いてまいりました。

「娘の結婚式に行きたい」
「お墓詣りにいきたい」
「最期に家に帰って布団で寝たい」


そんな希望にも「行けたらいいですね。できたらいいですね」と気持ちに蓋をして答えておりました。
心の奥底では、叶えてあげたかったのに…
黒子の私が、しゃしゃり出て動いてはいけない。
そうやって心に蓋をしていたことに気が付きました。

叶えるお手伝いはできるかもしれない

気持ちに蓋をしていることに気付いたとき
大学病院にとどまっていては、私が望む本来の看護はできないと思いました。


※誤解を招かないように言えば、大学病院では何もかも要望が叶えられないというわけではなく、当時の私の立場からということです。

最期のときの希望を叶えるお手伝いが
私が大学病院を離れることでできるかもしれないと考え、保険外看護事業の開始を志しました。

何の後ろ盾もないゼロからのスタート
40歳で安定を手放して勢いよく飛び出した私は
周りから大変心配、反対されました。


けれども
あのとき
できたらいいですね」「行けたらいいですね」と答えていたことが
今は
ぜひしましょう!」「ぜひ行きましょう!」に変わった。

私の根本にあった「希望を叶えるお手伝いがしたい」気持ちを実現させることができ、
その先に患者さんとご家族様の笑顔があり。
感謝の気持ちがあふれてきます。

ただ、美談だけでは済まされないこともたくさんあります。
周囲の方からは「一緒に外出したり旅行にいったり楽しそうね!」と言われますが、
リスクとは隣り合わせなのは確か。
入念な打ち合わせと、現場の下見、あらゆるリスクを考えての準備
安心と安全、そして質の高い看護をお届けし、心晴れる一日になるよう全力でお手伝いいたします。

そして、弊社のポリシー
看護師は黒子。その方の力を引き出せるようにお支えするだけ
を遵守し日々駆け抜けております。

まとめ

つらつらと書いた文章をここまで読んでくださった方には
心より感謝申し上げます。

患者さんのために!」の旗を掲げ、こぶしを振り上げていた時代

同僚に疎ましがられる「おせっかい看護師」「勘違い看護師」を経て

私の思う「本来の看護」ができている今に感謝しかありません。

ここまで読んでいただきありがとうございました。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次